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訪問心理士(師)のコンサルテーションが活きる要件 [心理]

訪問心理士として相談室に訪問する際、自己成長につながる学習意欲が旺盛な相談員から色々な質問を受ける時がある。その質問に対して率直に回答すると、次回訪問時、支援に役立て更なる成長を見せる場合がある。その時は、直接のスーパーバイザーでなくとも、指導に応じた甲斐を感じる。
新・カウンセリングの話 (朝日選書)

新・カウンセリングの話 (朝日選書)

  • 作者: 平木 典子
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2020/08/07
  • メディア: 単行本
訪問心理士として相談室に訪問する際、学習意欲が旺盛な相談員から色々な質問を受ける時がある。その質問に対して率直に回答すると、次回訪問時、支援に役立て更なる成長を見せる場合がある。その時は、直接のスーパーバイザーでなくとも、指導に応じた甲斐を感じる。


他方、心理士(師)がいくら誠実に回答しても組織としての相談活動には役立てていない名ばかりの相談・支援員もこの世には、存在する。その場合、率直に「人から教わるばかりでなく、正規の学校で教わって下さい」と伝えたことがある。年度が変わり2か月が過ぎた頃がその判断の分かれ目となると省みる。


 いつの間にか相談室Aと相談室Bの違いが出てくることがある。相談室Aでは、訪問日には、必ず予約枠が概ね埋まっている。キャンセルの際には、その詳細が付箋で記されている。そして、次々回の訪問日には、面接が延期されたことが明示されるなどできるだけクライエントの継続面接が持続するように配慮がされている。相談員も平素より、真剣な態度で向き合い、御自分が自己成長するための質問をしばし投げかけて下さる。それに対して、対応時間が短い時には、参考文献を紹介すると、後日その文献を入手され読了して支援の場に来られる積極的な姿勢がある。質問をされた時も次の訪問日には、役立てて下さるので、訪問心理士としても遣り甲斐を痛感する。


 他方で、相談室Bでは、当初質問をされた際、積極的に対応するが、それは、自分の知識欲を満たすための質問であり、次回訪問日まで役立てていないことがしばしである。前年度の相談員と比較すると、クライエントへの対応姿勢、成長への支援技術等、顕著な差がみられ、また一から教育し直さなければならないと思わせる現況である。組織内でアセスメントツールとして心理検査を行い、集団的評価が存在しても、その冊子を自分の鍵のかかる机にしまいこみ、活用できないまま、保管を続けている現実もある。しかしそのアセスメントツールの冊子は、本来、他の部署のスタッフが保管し管理するべきものであった。にも拘わらず、その旨確認をすることもなく、個人でアセスメントツールの評価結果を保管し自分のものとしていたことに驚き、本来の部署に戻すことが必要であると指示をしたこともある。本来の部署では、その冊子をデータベースとして保有し、クライエントの必要に応じてアセスメントのために活用する道が開けたと省みる。


 続いて、心理士(師)が組織のスタッフと協力し、クライエントのご家族とも協力して、継続面接を続けていたにも関わらず、クライエントの次回の継続予約の際、心理士の不在時も次回訪問時につなげようとする姿勢がみられない。そのため、キャンセルの経緯が示されず、次回訪問日には、何故かキャンセルとなって修正テープで予約があったこと自体抹消してしまっていることもあり愕然とした。確かにクライエントには、仕事や学業によるそれぞれの都合がある。また、体調不全や天候の状態で来談することが困難なこともあるだろう。しかし、当該B相談室の相談支援員が介入したケースでは、何故か継続面接が途切れてしまうことが顕著であった。率直に臨床心理面接、そしてカウンセリングというものが一体どのような目的があって営まれているのだろうかという正しい認識が欠落していることが分かった。そればかりではなく、自らの支援に生きる知識を変容させていく姿勢にないことが判明した。


 A相談室の相談員の方と異なり、過去経験に縛られてクライエントを成長に導く姿勢ではなく、そのために必要な知識が欠落しているばかりではなく、正しい知識を構築し実践に役立たせようとする姿勢がないと判明した。確かに周囲の評価からは、人当たりが良く言葉遣いも柔らかであると評価されているが、クライエントからの評価は厳しいイメージを持たれている。クライエントの自発的判断を乗り越えて、自分勝手な介入をされ次回以降、否定的認知が増幅され、前年度の相談支援者の時には、継続的に訪れていたクライエントが突然、訪れなくなったり、また、訪問心理士(師)がクライエントと協力して一定の目的に向かって自己成長を支援しているにも関わらず、途中で自己判断で介入し、成長動機を減弱させてしまう対応姿勢があることが判明した。率直に訪問心理士の業務を妨げられているとしかとらえられないケースに出会うこともある。A相談室の相談員の方と比較すると、何故これまでに心理に関する正しい知識と、カウンセリングマインドが欠落した名ばかりの相談・支援員が存在するのだろうと痛感することがある。

 一番顕著なのは、病態水準の重篤さに対する理解が希薄で、医療機関に受診している中医師の許可も得ずに、自分の疑問を解き明かすためクライエントを心理士の不在時、2時間以上相談面接まがいの行為を行ったと聞いたことがあり愕然としたこともあった。クライエントは医師の許可を得て心理士の元に現れ適切に対応する運びとなったが、症状のプロセスを傾聴すると、B相談室の相談支援員がクライエントの病態水準を測ることができない中、長時間の面接まがいの対応を行ったことで、クライエントの病態は間違いなく、悪化した。このような支援員からどこがおかしいか指摘して欲しいと依頼を受けたことがあった。率直に全て基本的物事から理解し直しやり直さなければいけないだろう、それは心理士の有資格者に問うよりも、学校に行き直して欲しいと伝えざるをえなかったことがあった。


 ある時、訪問すると、クライエントの支援をする相談室の中でクライエントを繋ぐことや現にサポートを必要としているクライエントを脇に置いたままで、B相談室の相談支援者が対応策を探しあぐねて長時間大声で対話していた。これでは、心を休めるために訪れようとしたクライエントが相談室を利用することが難しくなる。

 話の内容は、特定のクライエントに対する対応法と推察されたが、話を聴くと全く的外れであり、そもそも支援員の方に助言した際には、そもそも基本的な知識が欠落していることが判明した。その中でご自分の体験を言語化してtheoryに反する似非支援を続けており、結果としてクライエントの状態が著しく悪化するばかりではなく、訪問心理士の継続面接も妨げている結果、組織としてのクライエントの自己成長支援の目的が果たされておらず、心理士の不在時、外部機関との連携を保つこともできずに自己判断で相談室運営をしようとするため、全てが上手く回らなくなってしまうことが判明した。


 パーソナリティといった基本概念を伝えてもB相談室の相談員は、全く知らず、説明を要したり、パーソナリティチェンジのための面接の構造化の理解にも時間がかかることばかりではなく、心理士が対応したケースについて、クライエントの心理状態に関する虚偽の書面を作成し記録に残すなど論外な出来事もあった。省みると、本来交代制勤務の中で自分の担当ではない同日午後の時間に関するクライエントの記述を残すことは、真に訪問心理士を貶める行為であり、相談員にあるまじき行為として、今後断じて対応しなければならない。B相談室のもう一人の相談員に確認すると似非相談員の記録した内容は事実ではないことが立証できた。特に心理士が対応したケースに関して有資格者の指示を聞かずに無資格相談員自らの判断でクライエントに直接介入し状態を悪くさせた結果、状況を記録にまとめ報告するといった行為は、虚偽公文書作成にも該当し公益通報の対象となる。B相談室のclの状態が改善しないのは、心理士(師)の資格を有しない相談員の対応があるからにほかならず速やかにやめさせる必要がある。


 訪問心理士として省みることは、A相談室の訪問時には、学習意欲旺盛で自己成長の希望が持てる相談員の方に対しては、時間が許す限りOJTの形で、助言をする意欲が出てきたのに対して、B相談室の似非相談支援員に対しては、できるだけ訪問心理士の活動を妨げられないよう予防措置をとるとともに、質問への回答を求められた際には、専ら資格取得の学習を行うために学校に通われた方が良い、それが何よりもクライエントの心身の安全を保つための残された手段であるということを伝える自己決定を行うことにした。


 過去の訪問支援を振り返り時に繰り返す上記の不条理に向き合う方法を省みる今日この頃である。


 オールドルーキー、それは、組織を生かす場合もあるが、B相談室の相談支援員のようにクライエントの心に危害を加え、ひいては、組織を壊す場合もあることを危惧している。共感し傾聴するという極めて基本的な理解ができず、ただ人の話を自分の興味のために訊くという間違った姿勢から発しているからである。そのような相談支援員へのOJTは、成り立たない。






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