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指導という名のもとで踏み台という考えを持つ人への対応 [心理]

心理臨床の世界では、スーパーバイザーでないのに指導を希望する方がおられる。しかし極めて一部の方を除いては、人を踏み台にしようとしている方との関係形成は難しいと感じる側面が時折ある。

家族療法のスーパーヴィジョン―統合的モデル

家族療法のスーパーヴィジョン―統合的モデル

  • 作者: ロバート・E. リー
  • 出版社/メーカー: 金剛出版
  • 発売日: 2011/06
  • メディア: 単行本
心理臨床と倫理・スーパーヴィジョン (鑪幹八郎著作集)

心理臨床と倫理・スーパーヴィジョン (鑪幹八郎著作集)

  • 作者: 鑪 幹八郎
  • 出版社/メーカー: ナカニシヤ出版
  • 発売日: 2004/09
  • メディア: 単行本

臨床心理スーパーヴィジョン (現代のエスプリ別冊)

臨床心理スーパーヴィジョン (現代のエスプリ別冊)

  • 作者: 藤原 勝紀
  • 出版社/メーカー: 至文堂
  • 発売日: 2005/03
  • メディア: ムック

http://satheal.blog.so-net.ne.jp/2009-06-13-1

心理臨床の場は様々な場があって、その中でいろいろな相談員と出会う。その中には、自身よりも、はるかに高度な知見をお持ちの方もおられれば、それなりの経験を踏んでおられる様子だが、不登校児童生徒の病態を軽く見立てていきなり教室に戻そうとする過ちを下す等、明らかに焦点がずれた方がおられる。一番難しい方は、生徒の親族から虐待通報があるにも関わらず、相談室で、50分以上CLを待機させたり、PSW資格も有するCpであるSCが話を聞くと、なぜ事前に打ち合わせをしなかったのかと、アシスタント【保育士】と批判めいた会話を生徒の前でする等、SCの児童虐待防止法に準拠する行為について、左脳優位でいちいち細かなところまで打ち合わせをしないと先に進む判断ができない。加えて、大切なSC講演の前に速やかに対応せず、他の案件を優先して平然と保護者とSCを相談室の中で50分以上待機させた相談員もおられる。そのような方に限って、早々とケースの対応でゆきずまり、スーパーバイザー類似の対応を希望する。しかし、それは時々の判断で流されてしまい、自分が仕事の中で活躍を始めたと認知すると、これまで心理師の資格を持った存在を当初、先生と呼んでいたが、突然、○○さんと呼び始める。同列の存在とご認識する中で保護者と衝突したり、見立ての失敗をすると、関係がこじれた段階で、また○○先生と呼び始めて、必要な助言を得ようとする。しかしそのような問いかけに対しては、自身はあなたのスーパーバイザーではないと答えることが肝要である。そもそそスーパーバイザーは、同じ職場であるからと言って、必ずしも成立するわけではなく、それは個人の立場で時に謝礼を払う覚悟をもって関係構築をすべきなのだと思う。自身のSVは、もうこの世におられない方も含めて複数人おられるしおられた。その方々を探し出すのに大変な労苦を伴った。しかしいろいろと教えて戴いた。もうお年になれば、自分のフットワークが勝るケースも出てきた。しかし、自分が教えを請うたスーパーバイザーは、上記の事情を汲み取ろうとしない一部の若年SVを除き、尊敬する存在であり、感謝の意に包まれている。

 それに対して、同じ職場で出会い、手軽に会話ができる相手をご自分の都合でSVと呼ぶときもあれば、細かな要件を用いて結局、ご自分の意向に沿わせるという意図が見え隠れする場合、それは、申し訳ないが距離化をせざるを得ない。稀に同じ職場にいて、良い関係を長く続けることができる方は、人としての良識を踏まえており、対応について常に指導を受けるというお立場を堅持し、SVの助言に沿い、自らの認知行動をCLの主訴解決に向け修正されていることから、置かれた立場において、最善の選択をする。仮にミスをされても、修復が効きやすいことになる。他方で、他人を踏み台にする方は、隙あれば、罠をかけて、批判めいたことを繰り返してくる方もまれにおられる。人としての良識を備えている相談員は、決して人を踏み台にするという意識が感じられないから、是非とも自らも関わるCLのために力になって差し上げたいと純粋に思う。左脳で細かい打ち合わせをこまごまとやらなけれえば理解できないマニュアルがなければ進めない、さりとて、そのような助言を求めながら、クライエントを1時間も面接室で、待機させる等、結局は、人を踏み台にしている方よりも、右脳で、心理臨床の動きが理解して動くことができる方を応援したいと率直に思う。

 人を踏み台にする相談員の方は、自分のやり方を貫こうとするが、修正が効かない。初対面のクライエントのアセスメントの際には、ブレーキが効かない自転車のような危険な見立てを行う。週1回又は隔週訪問のSCからリファーされ数日、登校したけれども、その後はパタリとお見えにならないケースがある場合、動機感情と負担感情の天秤秤(はかり)のメモリの読み方をどこかで思い違いをしている。見立ての秤のメモリが間違っているため、修復が効きにくい。

http://satheal.blog.so-net.ne.jp/2017-01-24

研修会で講師が 質問事例を数多く集めて答えられずに終わるのも残念である。SVと呼ばれる方が、児童虐待防止法に反する事案等、対応の優先順位の判断を誤認して、明らかに間違った助言を与えたり、ケースの対応のために有意義な助言をせず立ち去るのも遺憾である。答えることが難しい場合は、治療困難であることも念頭におかざるを得ない。SVを含め開業当初は経験も浅く、致し方ないケースもある。尚、有事の際は、予防体制の構築や通常の助言や問題提起(不作為を含)にも問題があるため、SVが連帯責任を負う。

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20170211-00000060-jnn-soci


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