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面接構造を前提としない議論 [心理]

面接構造を前提としないで技法を論ずるのは空虚である。

治療的柔構造―心理療法の諸理論と実践との架け橋

治療的柔構造―心理療法の諸理論と実践との架け橋

  • 作者: 岡野 憲一郎
  • 出版社/メーカー: 岩崎学術出版社
  • 発売日: 2008/09
  • メディア: 単行本

C/Gや心理療法の技法を論ずる際、面接構造を前提としないで論じていることに戸惑う場面が増えてきた。そもそも技法は、CLのためにあるもので、主訴を改善するため、CLが良いと言えば、契約の自由とも言える。しかし、現実には、Coや療法士の面接構造が前提となり、その中で技法が適用されるのが通常であり、時間や、継続性、施術者の多忙時を含め、もしもの時の代替性など総合すると、一定の技法を共有することが必要である。もっともあるCLに対して、顕著な効果が出たからと言って技法通りに展開しなければ、C/Gや心理療法が成り立たないとするのは、百人百様のCLとさまざまなC/Gの場における面接構造の中で、甚だ傲慢である。確かにプロセスを顧みると、CLの主訴解決の道のりに一定の法則があると言えるかも知れない。しかしながら、CLは、時々刻々と変化するし、Coが許された面接構造の中で、CLの微妙な変化についていく必要がある。15分だけの時もあれば、60分以上の時間の時もある。他方、CLが子供や高齢者の場合、60分を超えると長いと感じる場合もしばしあり、人それぞれである。そのような多様な状況の中で、いかにCLに建設的な変容を生み出すかが重要であり、時にそれは一瞬でもある。出来合いの公式を当てはめ、その通り適用しなければ、資格がないとか資格を失うとかいうのであれば、そもそも、そのような技法の適用を求め、現に業として継続性がある面接構造は、どこに存在するのか、先ず、そこから示す必要がある。民間療法に対する信用は、同じCLがCoのもとに次回訪れた時どのようなプロセスで、誰にでもわかる形で、目の前にある面接構造の中で介入し、安全に、確実に、偏差や後戻りのない形で、主訴の解決に導くかということにかかっている。一定の枠組にあてはまらなければ、解決しないのなら、なぜ、その枠組みが毎回毎回変わるのだろう。それはCL中心として技法が存在するというより、当該技法がほんの一握りの講師の「商品」として存在するためであるからだと思われる。確かにその技法は、一部のCLには有効だったかもしれない。しかし、次に訪れるCLにも、あたかも数学の公式を当てはめるかのようなことはできない。CLの心は商品ではないからである。尚、最近の民間療法の論議は、発達障害に関する検討がないままに進められているように思われる。抑うつや性格傾向にだけ、焦点を当て、アセスメント違いで介入している場合が多く危険を感じる。C/Gや心理療法の質の論議や、国資格の論議は、こんな処から生まれてくるのだと思う。


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履歴書の添え状

いつも楽しく観ております。
また遊びにきます。
ありがとうございます。
by 履歴書の添え状 (2010-09-01 18:29) 

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