SSブログ

心理臨床スーパービジョンにおけるスーパーバイザーの要件 [心理]

とある学会からスーパーバイザー(sv)の要件に関する望ましいスーパーバイザーとは何か、アンケート調査が送付されてきた時のことを想起した。

よりよいスーパーバイザーになるための手引き

よりよいスーパーバイザーになるための手引き

  • 出版社/メーカー: 西日本出版社
  • 発売日: 2018/11/27
  • メディア: 単行本
増補改訂 心理臨床スーパーヴィジョン―学派を超えた統合モデル

増補改訂 心理臨床スーパーヴィジョン―学派を超えた統合モデル

  • 作者: 平木 典子
  • 出版社/メーカー: 金剛出版
  • 発売日: 2017/07/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 スーパーバイザーをしていた頃、一定の構造化された手順をマスターして、クライエントの行動変容、自己成長を経て、主訴解決に導くカウンセリングの技法展開の支援者として、注力していた。講師がいて、その指示のもとに進めていたが、講師の興味関心にSvとしての成長が左右されるため、Cp資格取得とともに、各心理臨床の現場に応じたカウンセラーとしての道を歩むことになった。修士終了後、大学評価学位授与機構から4年生大学・専攻科過程のカウンセリング教育を行うことを認可され、健康カウンセリング実習と、講義を行った時もあったが、やはり、訪問支援と、医療等での心理面接、コンサルテーション、行動観察、アセスメントを行うことが、自らのスタイルに合っていたと感じている。

 他方で、心理臨床中心の生活を日々送っていると、年に数回、技法や判断の切れ味が若干うすれていると感じることがある。あたかも、料理人の使用する刃物や御侍さんの使用する刀が、切れ味を失いかけているのと同様である。その時は、コミュニケーションにも力が少なく、周囲への挨拶や声かけも元気が低下していることに気付くことがある。その時は、何となく体もだるくやっとの思いで、自分の体を引きずっていたときもあった。もっとも、そのような状態に気付くと、自己変容の工夫を行う必要がある。それは、日本のカウンセリングの草分けの先生も仰っておられる。時間と余裕がある時は、スーパーバイザーのところに駆け込み、自分のクライエントとしての姿をビデオに収め、鏡のように映し出した姿を自宅研究室で、リフレインする。すると、スーパーバイザーの技法展開の中で、自分の気づきが起こり、認知の変容に導かれるプロセスが明瞭に映し出される。その過程を映像記録媒体に収めて時期がくれば再びそれを見直すと、自己成長の過程が苦労した体験のなかから浮彫にされてくる。それは仕事での生活のみならず、私生活での行動パターンが明瞭に映し出されてくる。

  さて、望ましいスーパーバイザーとは何かという問いかけに答えると、少なくとも1回または数回の面接で、心理臨床家として、抱える主訴を、解決に導いてくれるきっかけを与えてくれる気づきを促進する技法を持った助言者である。自身は、カウンセリングの世界での助言者には非常に恵まれていて、古くは、今は亡き先生、来談者中心療法の草分け的存在であったり、精神科臨床40年のDrであったり、フリーイメージ療法の草分け的存在であったり、構造化されたカウンセリング技法の開拓者、およびその優秀な弟子の方であったり、産業COの時代及び学校CPでは、世話人と呼ばれる様々な方の気づきと助言に導かれてきた。そこに共通していることは、一回の心理面接、スーパービジョンの中で、現在抱える主訴について劇的な変化がもたらされる要因を与えてくれたことである。時に、人生を変えてくれた先輩方に感謝しなければならないと振り返る今日この頃である。

  もっとも最近は、スーパービジョンを受ける時間的な余裕が少なく、また、心理臨床の合間に自分の力で、目の前のクライエントの主訴を解決に導くまたは、解決の方向に切り替えるヒントを関与しながらの観察の中で、自らきずき、行動の仕方を切り替え、良い影響を与えていくことが必要である。その場その場で判断し行動していかなければならない。そして、特にスクールや医療の場では、カウンセラー一人ではなく、様々な方々の関係性の元に展開されていくため、少しの方向性の変化が劇的なより良き変化をもたらすことも幾度も体験している。

  それゆえ、国外や国内の大学大学院博士課程や医学や心理学博士の肩書を持っている方の助言よりも、結果に導く内容を含んだ助言や気づきを与えることができることが心理臨床の世界では重要ではないかと思う。確かに論文も大切であるが、今、この瞬間、問題を投げかけられた時、クライエントにより良き道に導くことができるように成長していることが重要ではないかと思うのである。確かに、今抱えているクライエントの主訴を一度に解決することは難しいが、ステップを踏めば、おおむね主訴の解決に導く方向に近づくと感じている。

   学会メンバーの方からメールが送られてくると、色々、啓発されて今までの自分を振り返ることができるので感謝している。その中で、真のスーパーバイザーたりうるには、あらゆる技法の展開法を理解し、ご自分でも、それを駆使することができ、主訴解決のステップを歩むことができ、スーパーバイジーの成長度を測りながら、適格な助言や気づきを与えることができる方ではないかと漠然として答えることができる。もっとも、自分は自分独自の技法が統合されていくのであろうし、自ら置かれた臨床の場において、目の前のクライエントの成長と主訴解決に導くことができれば良いと思う。そして、臨床経験を積めば、次の起こる問題を予測し、未然予防の一手を打つことができることや、心理パターンから脱却することができる知識と技能を携えている必要がある。

  ここ数日、真夜中にスーパーバイザーのDVDを繰り返し聴きながら眠りにつく日々を過ごしている。睡眠学習のように自然とリフレッシュされている自分に気づく。そうすると、不思議と、昨日よりも難度の高いクライエントの主訴と向き合う日々に直面していることに気づく。もっとも、難しい課題と向き合っているが、不思議と疲れにくい心に変化していることに気づく。心理臨床の問題が解決される最短距離の道のりを歩むよう、認知行動の変容が起きているのだろうと思う。これまで御世話になったスーパーバイザーに心から感謝いたします。

 【追記】

 尚、図書館で雑誌を眺めていると、心理系雑誌の巻頭論文で、カウンセラーという概念は、教育学の学位が前提となっていたり、臨床心理学が心理学部や博士号が前提となっているという定義づけがあり、違和感を感じた。国外の状況に加え、心理師国家資格の流れにもよると思われるが、カウンセリングという実態は、50年以上前から、学位以前に、この日本にも存在したし、又、博士号がない方の中にも優秀な先人もおられた。加えて、心理学部がある大学は、一部である現実もある。随想(エッセイ)での定義づけでこれまでのカウンセリングの歴史や臨床心理学を担ってこられた先生方の存在を覆すことは、実態に反する内容であり、他の論文への信用にも関わると感じる今日この頃である。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント