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負担感情への共感のない声かけの力 [心理]

久しぶりの企画や行事参加のために声かけをする時、重い腰を上げる気になる声かけの仕方かということを振り返る必要がある。

共感力 (ハーバード・ビジネス・レビュー [EIシリーズ])

共感力 (ハーバード・ビジネス・レビュー [EIシリーズ])

  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2018/11/08
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 引きこもりの大人や子供を行事や企画に誘おうとする人の声かけを耳にすることがある。ある人は、声かけが適切でもしその人から声をかけられたら重い腰を上げようかなという気持ちに駆られるだろうと感じることがある。しかしその一方で、一生懸命に声をかけているようであるが、専ら理屈が先行してしまい、例えば、その行事の社会的な意義であるとか、時間的に短いから我慢できるはずだとか、様々な声をかけているけれども、かけられた人にとっては、どれだけその行事に参加することが負担かという心情を分かってくれていないと感じるだろうと思う時がある。特に指導者としての立場にある教育者の言葉には、妨げる気持ちや感情に寄り添うことなく、一見分かったような言葉を添えながら、大丈夫だからといった左脳中心の声かけを立て続けに行っているご自分に気づかないことがある。至極当然の言葉を発していると思いながらも、その声かけがいかにハードルの高いものかということに一向に気づくことはない。そのようなアプローチはクライエントに寄り添う心理支援には程遠く、益々心の防衛を強めてしまうばかりである。そのようなアプローチを続ける人に限って、心理師やCounselorの助言を受けることができず、専ら自分の思い込みで同じような声かけを続け、引きこもりの生活を深める犠牲者を再生産し続けることになる。
 まず自信過剰な電話での声かけに対しては、ご自分の声かけの場面をビデオテープに撮って自らを振り返る気持ちにならない限り、同様の光景は繰り返されることになる。そのような声かけの仕方を周囲が見ていて、少しも不思議とは思わない、注意する人がいない中では、更なる引きこもりの犠牲者が顕れることになる。特にCounselorや心理師が定期的に訪問していたとしても、過信ばかりの態度で聞く耳を持つ土壌がなければ、現状が変わる可能性は低いと言わなければならない。スーパービジョンの中でスーパーバイジーの力量では難しい場合もあることはお察しする今日この頃である。

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