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あるべき正義を伝えることへの警鐘 [心理]

コロナ禍の中で、不登校、自殺件数の報告等が過去最大と報道されている。これは見方を変える時、義務教育というあるべき正義を伝えることへの警戒と警鐘が示されているように思えてならない。




何十年前になるだろうか。学校に訪れない子供達の声を保護者の方からお伺いした時、感じたことがあった。学校の先生と会うのも嫌だし、近くに行くのも怖いという訴えは、時折耳にする文言である。義務教育課程であれば、尚更当然学校に行くべきものであり、これまでも極めて、自然な行為だった。しかし、コロナ禍の中で、登校が一時自粛されたり、リモートを体験する中で、子供達はその生活リズムに慣れてしまい、緊急事態宣言解除されたとしても、あえて登校することがおっくうになってしまったり、そもそも体力が築かれていないという子供達が多くおられるとも報道されている。もっとも、教育の指導者があるべき理想を立て続けに伝える時、それを受け取る子ども達の被拘束感が、尋常ではないケースも多いのではないかと推察する。

 静かにさせて欲しい時に、あえて周囲が声をかけ、回答を求めることがある。また食事の際、周囲の人とともに静かに食べたい時に、あえて大人から声をかけられ回答を求めるように導かれる時、教育という名の理想を強制されている感覚が少なからずあるのではないかと上記の数値から、推察される。

 常識的に考えた時、当然こうあるべきだという正義をつたることが受け手にとって必ずしも有難いものではないと感じる考え方もあるのではないかと思うようになった。一見、正しい行為だとしても他人に対して強いることが嫌悪感、拒否感を齎す要因となりかねないという現実を直視する必要がある。



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