存在と認識の科学 [心理]
心理面接を受ける方の中に、自分が誰かに認識されていなければ、存在する意味がないといった考え方をしている方がおられる。
しかし誰かに認識されようがされなかろうが、存在する事実には変わることがない。ゆえに存在する意味がないととらえるのは、行き過ぎた思考により導きだされた結論である。それは、周囲の人から認知されたいという欲求が生み出している。誰かに認識されていること、できれば、良く見られていると自らが認知しなければ、自分が存在する意味がないとか、生きる意味がないとか、生きても仕方がない・・・といったように思考が揺れてしまうことがしばしみられる。思春期や青年期、時に成人期にみられる思考方法であるが、誰かに認められたいという誰かをたどっていくと、実は、自分の親をはじめとした重要他者であることに気づく。抑うつ状態に陥る傾向にある人が自らの脳の中でひらめいた言葉を正確に振り返ってみると、そもそもの悩みは、他ならぬ自分自身の思考方法が生み出していることが分かる。精神か自然か・・存在(論)と認識(論)は、古来から哲学の根本問題であるが、存在と認識を混同することから、人間の悩みが生じると時折振り返る今日この頃である。
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