精神が対象を把握しようとする努力-西田哲学と心理学の接点 [心理]
西田幾多郎 『善の研究』 2019年10月 (NHK100分de名著)
- 作者: 若松 英輔
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2019/09/25
- メディア: ムック
西田幾多郎博士の著作集を読み始めた。
いつ頃に遡るのだろう。鎌倉の駅を降りて東慶寺の階段を一段一段上ると、紫陽花の花が咲き誇る中で、我国が誇る名士達のお墓が静かに鎮座している。岩波書店の創始者である岩波茂雄(以下継承略)、哲学者和辻哲郎、文学者野上弥生子の近くだっただろうか。西田幾多郎博士の眠るお墓があったと記憶する。(少し離れた場所に三段跳びの金メダリスト織田幹雄もあったことには驚かされた)。一冊の書籍から、紫陽花の季節になると鎌倉を訪れ、新富で食事をして東慶寺の階段を一歩一歩上った記憶が蘇ってきた。
西田幾多郎全集を手にする機会に恵まれた。その昔、西田博士の文章を拝読すると、大切なことがかかれてあるようだけれども良く分からない表現で書かれていた記憶がある。しかし今回は、独語混じりの英語表記が混在した表現であることから、著者が言いたいことがより良く伝わってくる感覚があった。まさに「精神が対象を捉える努力」という表現が適切ではないかと思う。その記述の中で心理学者、Wundt(ヴント)の名前が出てきた。動機(Motive)、Sympathy(同情)、目的(end)、実現(realize)、倫理的諸動機(ethiche Motive)、道徳的判断(moral judgment)、結果(result)、手段(means)、善(good)、快(pleasure)、望ましい諸帰結(desirable consequences)、意志(will)、善い諸帰結(good consequences)等々のキーワードを繋いでいくと西田哲学のOutlineが朧気ながらイメージされてくるように思えた。これらの概念をあたかも螺旋を描くように繰り返して理解しようと努力すると、東慶寺に眠る西田博士の魂に少しでも近づけるのではないかと期待している。「諸学の基本は哲学にあり」と井上円了博士は言葉を残しているが、心理学を突き詰めると「哲学」に行きつく。Counselingの世界で生きる意味を生き出しながら二十数年が過ぎた今そんなことを実感するようになった。今続いている感染状況が落ち着いた時、紫陽花が咲く頃、再び西田博士が眠る東慶寺を訪れてみたいと思った。
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