臨床心理面接における代理謝罪 [心理]
心理面接の場で、クライエントに対して誰かに代わって謝罪することがある。これを自身は、代理謝罪と表現している。
カウンセリングや臨床心理面接の場で、担当者に対する怒りに遭遇することがある。クライエントから話を聴けば、確かに、対応した人が明らかな対応のミスを侵していると捉えられる。確かに表現上の誤解や捉え方の違い、その時のムシのいどころもあるだろう。しかしながら、クライエントが認知した事柄を改めて振り返り、社会通念上評価すると、確かに理不尽な発言であり対応である。それを傾聴し、怒りに共感しながら、時に、その担当者に代わって謝罪しなければクライエントの心が癒されず、心の傷として残る場合がある。確かに、理不尽な体験を積みそれを乗り越えていくことで耐性ができるというPTGのとらえ方をする学者もいるが、それは、主治医を含む担当者から被害を受けたクライエント、患者にとってみては迷惑な話で、特に有料の場合には、自分で料金を払って、理不尽な体験を積んだということになる。そんな時、必要なことは、同じ組織に属している場合には、率直にクレームに対して、謝罪することである。そして、その訴えについて、組織長に迅速に伝えることが適切であるが、受ける側がその準備ができていない場合や時間が合いにくい場合には、常勤者に伝えることが必要である。もっとも、何かあったら声をかけて下さいと何年も前から伝えている常勤者であっても、伝えることを受け取ることすらできず、ただ、担当者に直接伝えて下さいと返されることもある。担当者に伝えにくい理由を汲み取れない理解力の浅薄さはもとより、どれだけ組織の責任を担っているかという意識の高さの問題でもあるが、もうその方には、伝えても難しいであろう。これまでうまくいっていた組織も、あることをきっかけに何かの拍子で、歯車が崩れてしまうことがある。それが責任ある有資格者の一言で何十年もかけて築き上げられた信頼が一夜にして崩れ去るのも現実である。
自身はそのような事態を防ぐ必要があるという意識で、組織の中で、隔週訪問する非常勤の立場であっても、担当のクライエントに組織の行為を謝罪する姿勢を示してきた。時に関係のない医療機関の診断による障害者の心の傷も向き合ってきた。それは医療心理の世界に生きる者として、お互い様という意識でもあるし、もしかしたら、自身が臨床を始めた頃、クライエントや患者様に対して、間違って誤解を生んでしまう発言をしたかもしれない。不在時も含め周囲が守って下さったのかもしれないと思うからである。しかしながら、ここのところそのような代理謝罪を必要とする体験があまりにも多すぎるように思う。大切なことは間違いをした人が自ら謝罪することである。医療の場でも、教育の場でも、産業の場でも同様である。
無断で時間が削られるなど不利益な変更が公然となされる中、そろそろ、クライエントの心情を汲み取る中で、代理謝罪を行うことに関しては、自身も難しい気持ちがしてきた。そこまでお人よしではいけない。流石に専門職として決して切れることはないが公認心理師法が成立し、20年以上続いてきた臨床心理士の教育システムを偏りがあることを理由に公認心理師の要件から廃棄する旨の一部情報がある中、法的拘束力を伴う通報を有効活用させていただくことをお許し戴きたい。客観的な証拠は日々保全している。クライエントの人権とCPの権利を守るためにも、立ち向かわなければいけない時はある。
「あの日・・・を読み終えて、将来への夢を追い、一生懸命、純粋な気持ちで諸課題に取り組んできた研究者が、周囲の巧みに巻き込まれていった手記を拝見し、自分の身近な家族のためにも、絶対に組織の病理に巻き込まれていけないと思った。
http://satheal.blog.so-net.ne.jp/2016-02-01
http://nttbj.itp.ne.jp/0878631155/index.html
公認心理師法 42条 主治の医師の要件(縮小解釈)
①医師の診断上の過失により、患者の心的外傷を生じさせたことはないこと。
思想良心の自由(19)、信教の自由(20)、表現の自由をはじめ、患者の日本国憲法の自由を侵害したことはないこと。
②診断過程の過失により、診断および処方のミスをしたことがないこと。(例:躁鬱を鬱病と診断・処方)
③診断過程での重過失により、患者を死に至らしめたことがないこと。
④診断過程の過失により、自らのミスを心理士に転嫁し心理士の名誉はもとより、経済的損失をもたらしたことがないこと。
⑤仮に、患者、心理士に損失をもたらした場合には、速やかに謝罪し、損失を補てんする等迅速な対応をする姿勢を示していること。
損失の補てんに関しては、自らの財産をもって担保を供与する義務を負担する用意があること。
(説明)以上、公認心理師に指示をする立場である要件として当然の要件であると解される。上記の要件をクリアしなければ、患者の生命、身体、精神の安全を確保する観点から指示する立場として存在することは、社会通念上到底難しいと解されるからである。法技術的には、主治医の要件を厳密に絞り込み法文及び法規則に明記することが不可欠と解される。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g18601043.htm
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6218892
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