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境界例のCLへの共感 [心理]

境界例(境界性人格障害)のCLへの面接場面での共感は、Coの中立性という軸の中で、巻き込まれないことが大切だろう。

マンガ境界性人格障害&躁うつ病REMIX 日々奮闘している方々へ。マイペースで行こう!

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  • 作者: たなか みる
  • 出版社/メーカー: 星和書店
  • 発売日: 2006/06/20
  • メディア: 単行本

境界性人格障害と診断され、平素、職場復帰への判断が難しいCLから自分が生育暦の中で幼少期、周囲から受けた心傷体験が「〇〇」という基準に当たるか「〇〇」という事実と認められるか聞かれることがある。CLが、何度もCoに確認を求める背後には、CL自身の判断が「一般」の評価から乖離し、判断を間違えることで、見捨られる不安が生ずるからと解される。そのようなケースでは、Coとして、確かにCLの背後の気持に共感するが、それでも、幾度と無く、厳密な確認を求めて来る場合は、そこに未解決のトラウマ感情が隠れていると推察される。もっともCLの気持に共感しながらも、Coの率直な感覚をIメッセージで伝える形でフィードバックする方法もある。背後の不安や恐怖に共感する気持も大切だが、それでも厳密に確認を幾度となく求めてくる行為を認めてしまうと、CLの認められたい欲求が満たされ、脳内での快楽物質が生じる中で、心理的依存が助長され、常にCoの同意がないとCLが自分で判断することができなくなることを危惧するからである。特にCLが現実に体験したか否かは、CL自身の記憶が変容し、「時間性」及び、「社会性」の混同が生じていることもあり、それをCLが求める通りの「客観的事実」として認めることは、率直に抵抗を感じる。少なくともCLの主観的枠組みの中で事実と捉えていることとしか伝えられない範囲に留まるのが、正直な所である。その意味で、境界例のCLに対する共感は、CLの自立支援に資する枠組みの中で行うというのが現時点での見方である。加えて、Co自らの人としての感覚を信頼し率直に伝えることが、CLの人としての感覚を取り戻すひとつの道と考えるのである。                          

[追記:時に健常者でも、事実を幾度となく訊く確認癖の強い方もおられるが、他人の領域に踏み込む形で、過度に関係を求める「依存性」の背後には、何らかの事情で、自分の心傷感情が整理できないことが推察される。Coであれば、自己決定を侵す行為をコントロールできない事案としてSVが必要となる所以だが、通常業務を阻害されぬよう巻き込まれないことが適切である。何よりも、先ず、業務から逸脱した発問に関わるより、CLの主訴を解決に導くことに注力することがCLのためには、必要だろう。]


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