法の不知から生まれる対立見解への対応 [学習]
法の不知は許さずという諺がある。しかし他方でCLのサポート面で、法の不知から見解の対立が生ずることがあることも注意すべき点である。
改正障害者総合支援制度のポイント(平成30年4月完全施行): 新旧対照表・改正後条文
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- 出版社/メーカー: 中央法規出版
- 発売日: 2016/11/15
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子どもの世界をよみとく音楽療法―特別支援教育の発達的視点を踏まえて
- 作者: 加藤 博之
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確かに日々法律は制定改正されており、一つ一つの法律を習得することは専門外と言われるかもしれない。しかしながら、法の不知は許さずという原則からすると、本来、自己研修で学ぶべきことを習得していないということになる。心理士や相談員、Counselorの立場でそのような場に向き合うと、上記のような常識が浸透していない現実に直面することが時折あるが、そのような法律の無知を防ぐために、主治医の指導を受けるように心がけている。医療機関の間では、直接CL本人と会い対話を重ね、関与しながらの観察の中で、診療情報提供書であったり、対個人では、診断書や意見書を発行して戴くようにする必要がある現実がある。
本来ならば、CLが、法律の規定に基づく合理的配慮を行うべき特性を抱いていても、その合理的配慮をすること自体が、他の健常者と比べて異なる対応をすることで不公平だとか組織のルールに反するといった論法で時に何故そのような集団のルールに従わないのかと担当の生徒でもないのに時にまくしたてる方もおられる。
しかしながらそもそも、合理的配慮を行うことは、障害者差別解消法や障害者総合支援法において規定している内容であり、単にその法律を知らないから、他の存在と同様に扱うという形式的議論に終始するのであって、不勉強に所以する由由しき事態と言わざるを得ない。
仮にCLへの合理的配慮を欠いたことで、いつかの日のように2次障害3次障害が生まれてしまうと、そのCLの保護者の方は黙ってはおられないだろう。例えば、弁護士を雇って訴訟を行うことも考えられる。そうなると、契約関係にあれば債務不履行(不完全履行)、契約関係と解さなければ、合理的配慮を妨げた者による不法行為に基づく損害賠償請求を行う可能性がある。仮に損害賠償請求が裁判所で認められる判決が確定すると、組織が責任を負うことになるが、組織の管理者が医師や心理士の指導助言に従い、合理的配慮を行うべき指導をしていたにも関わらず、当該一部の法律を知らない一部の存在により、先の合理的配慮を妨げる行為を行った者は、不法行為ないしは、共同不法行為の主体として、損害賠償責任を負う。
仮にそれが一部の存在(例えば、教職員)の給与で支払える額である場合もあるが、2次障害3次障害を招いた背景にその関係者の故意又は重過失、過失行為等、責めに帰すべき事由があれば、想定した損害賠償額と桁が違う額を請求されることを想定する必要がある。そのことを想定せずにただ、法の不知を理由として、合理的な配慮を欠く行為(Counselingなど相談室への利用を制限する、別室でのクールダウンの機会を制限したり禁止したりする。時間を不当に制限する等)をするのであれば、その制限した一部の方々に損害賠償を全額共同で負担して戴かざるを得ないことになる。仮に相談室のCounselorに対して、偽計や威迫行為を用いて制限の指示をするのであれば、偽計ないし威力業務妨害の共同正犯が成立することで、損害額は他の者から増額して請求され、教職員のご自分の給与から何年も支払わざるを得ないことになる。仮に組織が一時負担しても後日、直接の不法行為者に求償することになるだろう。
以上、法律論を持ち出さざるを得ない場合は、有資格者の訪問日にCLをリファーせず、無資格者に対応を委ねることで、現実にCLの状態が悪化してしまう等、とかく当該CLに対して配慮を欠く行為が持続していたり、ご自分の教室の生徒は常に合理的配慮がされていることは棚にあげ、むしろ直接介入せず、相談員や特別支援教諭に丸投げにして、不公平で理不尽な対応が持続していることが明白である場合が多くある。その状況に対して組織の管理職が配慮をしようと指導していても、一部の心ない人の法の不知という極めて一部の不勉強な方々の存在の主観によって、法律の規定が覆される場面に業務妨害を伴う形で直面する度に、何故、同じ教職員が同様の過ちを幾度となく繰り返すのか、過去のCLを想起すると、理路整然と法律の規定の存在をお伝えしなければならなくなることを振り返る今日この頃である。もし教員が配慮を要するCLについて、法律で規定された合理的配慮を行わず、主観的なルールに従うべき指導で繋ぎ止めておきたい希望があるのであれば、CLである児童生徒の心が面白いと魅力を感じる内容を発信できるように、御自分が交響曲の指揮者としてマエストロと敬意を表して認めてもらえるよう自己成長することが僅々の課題と解される。
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