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柔軟な対応力と指導力の差 [心理]

相談室登校から教室復帰に至る道のりは、2つに分かれる。その鍵となるのは、他ならぬ担任教諭の指導力に加え、柔軟な対応力である。もっとも、不登校を助長する担任の言動が続くと認知されたり、対応を諦めている場合は困難であるが、児童生徒と担任との相性もあるのが現実でもある。

教育相談の理論と実際―よりよい教育実践をめざして

教育相談の理論と実際―よりよい教育実践をめざして

  • 作者: 河村 茂雄
  • 出版社/メーカー: 図書文化社
  • 発売日: 2012/04
  • メディア: 単行本

仮に、児童生徒の教師の対応で、行き過ぎがあり、身体症状を発症させた場合等、保護者によっては、因果関係を論証し、訴訟を考慮に入れられる方もおられると思う。それゆえ、ベテランのみならず経験の少ない若い教師は、自分のクラスの児童といえど、くれぐれも気をつける必要がある。
http://satheal.blog.so-net.ne.jp/2015-07-10

不登校のきっかけになる要因は、家庭内要因、学校での要因、家庭・学校外の要因の他様々な要因がある。児童生徒の学力やコミュニケーション力が発達過程で自然な力を獲得されているかも重要な要素である。しかしながら、学校、教室復帰の鍵となるか、学校や教室から遠ざかるか分岐点は、担任教諭の指導力、柔軟な対応力がある。

例えば、学力が未発達な生徒については、学力検査はもとより、日々の授業時の教師とのやり取りに対して、不安に抱いている。そのとき、その気持ちを汲み取りながら、授業で発言を求める配慮が必要である。少なくとも、ミスをすることが明らかであるのに、あたかも家庭で学習してきたか、検証するために、授業中に要支援生徒の指名する教師がいるが、仮にそれが順番通りであっても、誤答になることで、いかに自分の存在が周囲にさらされ、自己否定感を感じるか、顧みたことがあるだろうか。とある若年教師と話すと、あたかも公平を貫いているかのような回答が返ってくることがある。しかし、生徒やその保護者から伝え聞かれることは、自分が指名され、間違えてしまうことに極度におびえている方もおられる。そんな時は、ヒントを与えて、正当に至る配慮をするなど、学習が自発的に進むような機会を与えることが必要である。確かに、間違えて悔しいから、次頑張るという生徒もいるが、そもそも学習意欲が希薄で、学力に不安を覚えている生徒は、たった一度指名されて、正答に至らなかっただけで、自己肯定感が著しく低下し、次回、自発的な登校を避けるようになる。社交不安障害につながる素因がある場合など、心から注意しなければならない。

 しかしながら、上記の経緯後、不登校になってしまった生徒に対して、ご自分の担当する授業での指名がきっかけになったことが明らかであるにも関わらず、それに気付かずに、放置しているケースがある。他の教員も含め、サポートする必要がある。

 次に、不登校になった生徒が、相談室のスタッフや教師の家庭訪問を経て、相談室や保健室登校を回復した生徒に対しては、要支援生徒の一人として、その心の特性に配慮しつつ対応する必要がある。時折みられるケースでは、SCが保護者面接や生徒の面接を通じて、登校復帰し、教室には戻れないが、相談室や別室登校が可能になった生徒が、相談室から教室に復帰するか、それとも、再びこれなくなるか、分岐点となるのは、やはり、担任教諭との関係である。特に担任教諭が生徒に配慮して、相談室に赴いたり、相談室スタッフとの連携に事欠かなかったり、教室復帰を妨げる気持ちや感情に気付いて、共有する努力をしているかが重要な教室復帰の要因となる。稀に、指示的な態度で言葉かけをする教師がいるが、コミュニケーションを専門的な立場から見ていると、二人のコミュニケーションがかみ合っていない、指揮命令になっている場合がある。そして、気持ちに寄り添えず、隠れた生徒のニードを捉えることが難しい中で、強引にご自分の考えを押し付けている教員もおられる。ベテラン教員であれば、その気持ちに寄り添う余裕があるはずであるが、時に、長年の経験則に合った事象に対してだけ了解するマニュアル的な声かけをするベテラン教師がおられる。学校に留まる時間の決定を含め、本人の意図を確認せず、自己決定に導くより、専ら当該教師の選択に導くため、要支援生徒の心との間で微妙な違和感が生ずる。

 教師にとってみれば、30人の中の一人であり、そんなに時間をかけてはいられないという考えもあることも事実である。しかし、それは、対応の姿勢という質的な側面で、大切な要素が欠落してしまう要因となる。一見、生徒の意向に沿おうと見えるが、対応が複雑で面倒になるから、早く家に返したり、一貫性のない導きは、自分のことを大切に思っていないのではないかと生徒に思わせてしまうのである。あなたが大切であると建前では伝えているが、実態は、対応できないから早く家に帰れといっている。当該教師にとってみれば、現実的な対応とも言えるが、しかしながら、生徒にとってみれば、俺(私)のことはどうでもよいと思っていると感じてしまうことがある。言わば、自己不一致の状態にあると認知されてしまう。すると、両者の信頼関係は、急激に崩れてしまい、結果的に要支援生徒にとって、最も重要他者である担任教諭への信頼が崩れたことで、相談室のみならず、学校に足が向かなくなってしまうことになるのである。そのプロセスは、何年、生徒との関係を築いてきて、また発達の過程を見守ってきたとしても一瞬にして、崩れ去るのである。確かにその信頼関係破壊の要因に気付き、早急に回復する努力をするならば、修復する時間は短縮されると思われるが、しかしながら、それに気付かず、放置している教師もおられる。

 特に、困ったことは、経験ある相談室スタッフの助言を聞かず、職員室の席前で、言葉を何度かけても、後ろを向いて応え、音声が右から左に流れてしまう教員は、ベテラン教員であったとしても、当該生徒、その保護者はもとより、教育相談体制の軸となる管理職、教職員から信頼を失ってしまうため、校内でのコミュニケーションが進まなくなってしまう。そんな時、不登校に至った生徒に救いの手を差し伸べる人の登場となるが、特に、生徒や保護者が担任教諭に対して著しく違和感を抱き、半ば、信頼関係を喪失している場合には、他の教職員が対応しなければならなくなる。そこで、SCや心理相談員が、学校の命により、保護者面接や生徒本人の面接を行うが、相談室に復帰したとしても、担任教諭が上記の有様である場合、なかなか教室復帰までには至らない場合が多くある。なぜなら、不登校生徒が、相談室から教室に帰っても、担任教諭が自分を守ってくれる存在とは認知されていなければ、戻ることは心情的に困難だからである。若い教師の中でも、児童生徒の態度に対して、否定的な認知を抱いてしまい、一定の構えができてしまうケースもある。その場合、柔軟な対応力を失い、作られた自分の構えに関して、切り替えが効かなくなる場合もある。何も抵抗ができない幼い児童生徒に対して、怒りで対応し、恐怖心を植え付けてしまうこともある。

 加えて、当該担任教諭の人格が誠実か否かである。自分の描いた通りに事が進めばよいであろうが、しかしながら、手間がかかる対象に対しては、指示的言動を繰り返したり、その場しのぎで一貫性のない対応を続けたり、相談室スタッフやSCの面接で知りえたことについて訊きだした後、集団的守秘を踏み越えて、直接、当該生徒に内容の確認を早急に行う性急な行為に至る衝動を制御できないベテラン教員もおられる。生徒の教室復帰が難しい要因に、担任教諭自身の行動傾向が決定的理由となっているにも関わらず、それを顧みず、相談室はじめ周囲の助言も聞かず、マイペースで、SCや相談室スタッフに対して、他の生徒や保護者も通る廊下や職員室内外で、対応が意に沿わず「不愉快である」と誹謗中傷を繰り返すベテラン女性教員もおられる。結局、相談室から教室復帰への時間を長期化させてしまうことに気付いていない。ましてやカウンセラーの民間資格を取得していたり、少なからず研修を積み重ねてこられた方が自己不一致状態にあることに気付かないでいることは、業務の反復性からすると違法性が高く、強い責任が求められる。ご自分で対応することが難しいと自覚されたら、率直に御自分の力の限界を認め周囲に頭を下げて対応を依頼することができるとよいが、それが難しい。SCの保護者面接に介入し、一回一回目的を持った心理面接の流れを妨げたり、生徒が担任への違和感を抱き、学校に来れなくなった生徒に保護者から教えられた連絡先に緊急連絡を入れると、違和感がある担任から、生徒に連絡をした相談室スタッフに、自分を通さないと誹謗中傷するベテラン女性教員であり、自称教師カウンセラーの有資格者は、先ず、周囲の動きを批判的に眺める余裕があったら、生徒や保護者への信頼を失った自らの至らなさを真摯に顧みることが必要である。それが難しければ、若い教師志望者に速やかに後進を譲ることも必要である。(但 若い教員、教員志望者もASD特性の方をはじめ率直に児童生徒対応が難しい方もおられる等、諸々の問題はある)。

 ご自分の生徒が、本来生徒指導が必要である違法行為を行っていることを知らずに、その生徒の心理面接を行ってフォローしているSCや相談室スタッフを、他の生徒や保護者が通る廊下や職員室内外で、大声で誹謗中傷したり、相談室に理由あって、とどまっている生徒に、大声で、怒鳴り散らしたり、SCに保護者面接を依頼したにも関わらず、面接の流れを妨げる形で介入し、次回訪問時に当該生徒が毎日登校しなかったからとって、責任をSCに負わせるようなニュアンスで、訪問直後に嫌味を伝えるそのような行動パターンをもった教師は、いかに自称教師カウンセラーの資格を有するベテラン教員であったとしても、長く続ける資格は存在しない。なぜなら、児童生徒目線に立てない教師や心に寄り添う技術と粘り強さを持てない教師は、今後必要とされなくなるからである。

 初めて会った生徒に対しては、心の発達を理解していないという御主張もあるようだが、あたかもご自身が、当該生徒の心の発達を理解しているような口調で言われるベテランの女性教諭もおられる。通常、時間の壁を超えるために、医療機関や教育相談機関等で行った発達心理検査結果を持参されて、開示していただく方が多くなってきた。しかしながら、仰るケースでは、担任教諭としてその配慮すらされていないばかりか、その情報を得ていない様子だった。しかしながら、その教師の方は、ずっと担任を続けており、当該生徒の発達を熟知しているというニュアンスで伝わってきた。しかしながら、それは、当つぶやきで既に10年前からお知らせしているように悪しき経験主義のお考えである。もちろん、発達検査を経なければ、生徒の発達を理解できないという訳ではない。しかしながら、自分の生徒との経験からその生徒の心の発達を熟知しているという考えは、極端な主観主義に陥っていることはもとより、著しい奢り以外の何物でもない。加えて、生徒からご自分がどのように認知されているかという観点もなく、自己不一致の状態ばかりではなく、解離性や大人のASDを疑わざるを得ない行動を続けていながら、ご自分は、心理臨床の専門的な視点もなく、各生徒の発達を熟知しているということは、説得力がない論法であり、生徒の理解を歪めることになりかねない。ゆがんだ眼鏡をかけている方には、生徒の行動を歪んで捉えることしかできず、ご自分の認知の枠も歪んでおられるため、周囲の教職員からも大きく逸脱した行動をする者としてしかみられず、助言をしても大声でくってかかられたり、職員室内外で、文句を言ったり絡んでこられるため、あまり関係を持ちたくないと、半ば行動変容にあきらめられている存在の様子である。ゆがんだ認知から生徒に指示的口調で、時と場合に異なった自己不一致の心のもとで指導をしても、管轄する教室の生徒の中に規範を逸脱する生徒があらわれることに象徴されるように、思春期の心の成長にとって、利するものは少ないと言わざるを得ない。特に生育歴の中でトラウマ体験をして、ご自分を含め人間のとらえ方に対する認知が歪んで、担任の対応に違和感を抱えているなど、ネガティブな反応を続けている存在にとっては、百害あって一利なしである。

 このようなケースでは、当該教諭と、直接のやり取りをせず、他の教育相談担当主任を介して、生徒のサポートを行う必要がある。そのことを相談室スタッフに助言することも少なからずある。しかし、翻っていうと、指導力は成長途上にあっても、経験の深い、心理臨床の専門家の助言を経て、柔軟な対応力を見せる若い教師に後進を譲る道をつくることが必要である。仮に、形の上で、教師カウンセラーの資格を持っている方だとしても、上記のとおり、自己不一致状態にあることに気付かない教師であるとすれば、若い教員に対して助言するお立場にも、残念ながらない。生徒の心の発達理解が担任として場数を重ねることにより、深まるというように、生徒の心理の理解が、著しい経験主義の思考の中で、質的な面より量的な面を誇大視している考え方自体が、自分の経験がすべて真実であるというドグマを生み出し、他ならぬ目の前の生徒や保護者から批判される的になる存在であるからである。SCや相談室スタッフから時に助言、気づかせる発言をし、それに気付かないため、率直に伝えることがあっても、ご自分の態度を振り返ることができない方は、指導者になることは難しく、ご自分の余生を楽しむ時間を過ごされた方が人として健康な生活を送ることができると思われる。

 尚、教室のみならず、廊下等で上記教諭のように他人の名誉を害する不適切な発言が続く場合には、その声のトーンが明瞭に反映された記録を法律の専門家を介してしかるべく場所に提出せざるを得なくなることも付言するが、カウンセラーとしては、決して巻き込まれず、適切な距離を取ることも大切である。


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