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母子分離の問題―不登校の背景にある家族病理 [心理]

児童生徒の不登校の背景に母子分離【専ら親側から】の問題がある。

母という病 (一般書)

母という病 (一般書)

  • 作者: 岡田 尊司
  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 2012/11/02
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

近年、不登校の傾向を分析すると、母子分離の問題が背景にあるケースがみられる。特に、単身世帯の場合や、両親がおられても、長年の生育歴の中で、過度な依存が形成されてしまっている場合がある。その場合、子供が、保護者に対する支援を求めることが当然の習慣となっていて、それが得られなくなる怖れがあると感じる場合には、極端に臆病になり、登校を渋る場合がある。他方で、子供が登校の意思を示し、親が登校を希望し家庭での指導をしていたとしても、保護者(特に、母親)が登校に行くことを止めてしまう(母親側からの)分離不安がしばし見られる。特にネットやスマホ依存となり、夜遅くまでスマホを行う温床を作っている傾向がある。保護者の面接につながったとしても、分離できず、仮に、ある所から、毅然として対応すべきことを助言しても、それができないケースがある。登校に向けた行動に導くことが、実は、自分のさみしさを満たす唯一の対象から、切り離されるという心理を生み出すからである。保護者自身が、生育歴の中で、ご自分の父母から、必要な時に愛情を得ることができなかった愛情飢餓感があるために、分離をしようとすると、見捨てられる恐怖が出てくるというからくりである。登校に行く時、その恐怖を潜在的に感じると、切り離すことができなくなる。

登校時、子供の身体症状を伴うケースをつぶさにみていくと、身体症状が回復してしまうと、保護者の愛情が得られなくなるために、特定の部位に関する身体の痛みなどが反復している場合がある。その場合、医師の受診を勧めるが、数カ月も前に医師の受診を促したにも関わらず、色々と言い訳をつけて、事実上放置しているケースがある。その時、仕事を始めたとか、仕事中で忙しいとか、様々な弁明が聞かれるが、実は、身体症状を伴う状況であったとしても、子供を手元に置いておきたいという心理が隠れていてそれが無意識のうちに優先してしまうと推察されるのである。医療機関では、稀に紹介状を求められるケースがあるが、実は、その保護者が他所から転居してこられたりして素性が知られなかったり、実は、境界性パーソナリティーや発達上強いこだわりがある場合には、紹介状を求める方が安全な場合もある。母子分離が進んで、適度な距離を保つことができる場合には、子供を診察すると、治癒に至りやすいが、常に子供を手放したくない隠れた意思があるような場合には、子供の症状として表れているが、実は、母【父】親側の問題であり、自己成長を必要とする問題であるのである。夫婦のコミュニケーションも絡む場合には、子供をIPとして身体症状や行動症状として顕在化しているため、家族療法が必要となってくる。もっとも通常、スクールカウンセリングの場合には、家族療法を直接行うケースとなってはおらず、子供に焦点を当てる必要がある。

それでも、そのような状態を自覚し、自らカウンセリングに通う保護者もおられる。自己成長のために支援をしたいと思う。しかしながら、そのようなからくりに気づかず、また気づこうとせず、子供が身体症状で苦しんでいる姿を横に身近な診療所に訪問することもせず、ただ手をこまねいている保護者もおられる。これは見方を変えれば、放置「虐待」と言われても致し方がない。保護者が子供の不登校を放置する場合、子供の教育を受ける権利を妨げ、教育を受けさせる親の義務を怠ると評価されてしまう。現代における家族の病理である。最近は、このような病理を抱いた保護者様が増えている。それに向き合う教職員も心労多く大変な仕事である。


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