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傾聴の基本姿勢にたちかえる[再追記] [心理]

 心理臨床の世界で長い経験を積んでいると、時にCoやCPの指導的な立場にあるとする人も、SVの過程で、傾聴の基本はもとよりのこと、「相談」「カウンセリング」「助言」等の違いを忘れ行動していないか省みる必要がある。特に、学校臨床や病院臨床など臨床現場では、CLはもとより、実際の関係者が求める対応において、緊急を要する困難場面にしばし直面する。SVは、そのような場面で、短時間の中で結論を迫られることが数多くあると御察しする。限られた時間の中、差し迫る場面で、守秘義務を守りながら、コミュニケーションをとらざるを得ない時、あらゆる場面を想定し助言する過程で、CLの自己決定に導くはずが、いつの間にか「説得」に走っていたり、CLの「自己決定」を踏み越える形で介入を行っていたりする。確かに、緊急を要する場合や、現実に自分が背負い得る責任との関係で、保護者や学校等につなぐため、一定の結論を想定して動かざるを得ない場面があるだろう。しかしながら、児童・生徒への対応として、CPが自己決定を踏み越えた動きに出ると、CLや関係者の防衛や抵抗を生み、かえって、こじれる場合もあり、また、少し長い目でみると、CLが自分で決定し行動するまでの自己成長につながらないことになり、ひいては、SVという立場の誤助言を通し、心理臨床への誤解を招きかねない。それは、リスニングの世界では、傾聴を妨げる「ブロッキング」であり、助言やコンサルテーション自体が、気づきや自己決定を妨げてしまう動きに出ていることにSV自身、気づくこと、そして、自らご自分の心の癖に気づき、行動変容に導く必要がある。必要性、緊急性の存在にあることを重々承知の上で、観察・傾聴・確認・共感という基本姿勢にたち帰る必要があると感じる。大人だからといって、子供を説得を選択する途は、少なくとも心理臨床行為ではないと思う。殊に「ポイント」研修のSVとしての責任的立場にある方は、何が原則で何が例外か、(例外であれば、例外の範囲)を原則を踏まえながら伝えることが適切である。もっとも判断の前提となる常識が十分に育っていない児童生徒に対応する場合には、CLの気持を聴く過程で、本人の心に響く言葉を届ける必要もあるだろう。しかし、SVである限り自己決定を尊重しながらというスタンスは[緊急度が高く生命の安全を守る必要があるケースも踏まえ]押さえる必要がある。以上の理は、私設心理相談臨床はもとより、組織に属するSCも同様であろう。尚、SCは、「週1日」勤務日の「所定時間」は、学校の「特殊な」一専門職員であることを踏まえることも必要である。[校長の指揮を受ける意味で雇用の側面も有するが、SCに専門的判断に関する裁量権限もあり、『準委任契約』という側面が強い]。その意味で、「時間」感覚を大事に捉えているかという姿勢も問われてくる。      

[再追記]基本姿勢や技法との関係では、「共感」力が弱まっている状態と考える。共感が弱ると、CLのみならず、SV自ら内省し気づきに至る過程が少なくなっている状態でもある。CLはもとより、SVが想起したり、気づく中で、相手を思いやる心の余裕を失いかけている。脳波は、β波、交感神経優位にあるため、CLとの間で、安全で安心な空間が作りにくい状態にある。CLが防衛に至る「説得」に走る前に、あと、3分待つ心の余裕があれば、より適切な途への気づきに至ることがあると感じたことはないだろうか。傾聴の基本姿勢である「共感」の理解を省みる良い機会と解される。[尚、守秘義務やマナー、Coのプライバシーへの過度な介入等の指摘が生ずるのは、各々の発言の場で無意識に行っておられる義務違反を覆い隠す心理的防衛と関係がある場合もある。少なくとも人以上に臨床経験を積んでいると自認される方は、周囲のマナー違反等を指摘する攻撃に出る前に、御自分の共感がCLに成立し、ブロッキングに妨げられずCoの効果が生じているか観察、傾聴、確認、共感の基本姿勢が堅持されているか省みる必要がある]。同時に御自分が臨床の場で、周囲よりも大人(と認知している)なら尚更、「自ら」counselingや教育の技法を行使するプロセスで、子供の心を守ることが大切と捉えるのである。

 

 

 


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